空間軸を中心として、写真やデザインなどから多面的にその輪郭を形成するアート活動です。

ミクロとマクロを行き来するということ

NOTE

 

「目標は?もっと将来のこと考えな」

誰だって一度は言われたことがあるのではないでしょうか。

僕の場合、こう言われたときは考えていないのではなく、考えだすと「人生とは何をやってもムダでしかないよな…」というところに行き着いて無気力症候群に陥り、かえって何も動けなくなる。ならば手探りしまくって忘れるってのが僕にとっては正解なのだと一度そこで決着していたのです。

あれ、書いてみて気づいたのですが、結果としてこれって何も考えていないようですので、改めて考え直してみました。

 

ミクロに、目の前の好きなことだけに夢中にやれてるときって確かに最強なんですよ。身を以て知っている。これはこれで間違いない。

だけれど続けているうちに、だんだんと自分の知識やスキル、体力が追いつかなくなって自分の無力さが俯瞰して見えるようになってしまう。

楽器の練習でいうと、頭の中で鳴らしたい音は流れてるのにそれに指が追いつかないって状況。自分の実力が俯瞰できるようになってしまったときはアドレナリンも切れちゃってものすごくしんどいのです。

STEPHENSMITHのCAKE氏も面白いこと呟いてました。

 


俯瞰できているということは全体を把握して見晴らしが言いようで、実はその様は俯いてるという。ならばやはり目の前のことだけやっているのが正解なのかな。

 

ではもう一つ、ミクロマクロを考えていると思い出すエピソードがあります。大学生の頃、髪の毛からDNAを抽出する実験をやっていたときのこと。

髪の毛をすりつぶしたものを分解して洗って遠心分離して温めて…と決まった手順通りの作業をなんども繰り返すうち、最後に残ったゴミみたいなのがどうやらDNAらしい。目に見えないところで反応が起きていると理屈ではわかっても、実際に目でみえるわけではないから何やってるかわかんなくなって嫌になるんですよ。

嫌そうに実験を進める生徒の顔を見て先生がひとこと。

「ミクロばっかみて嫌になってきたらマクロに戻ってみると面白いよ」って。

当時はそんなこと考えたって実験がつまらないことには変わりはないよ…と思っていたけれど今ではわかる気がします。

 

どちらかが大事ということではなく、さらにもう一歩引いたところでミクロとマクロ両方があるということを把握しておく。マクロの視点も知ることでミクロを乗り越えられるし、ミクロに夢中になることでいつの間にかマクロが解決してる。

 

一般的に言われる「目標は?もっと将来のこと考えな」はこのミクロマクロのうちマクロしか見えてないから違和感を感じていたようです。

締めたら拡げる、拡げたら締める、です。

 

 

このあたりのことは松浦弥太郎さんもおっしゃっていたので最後に引用しておきますね。

 

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