空間軸を中心として、写真やデザインなどから多面的にその輪郭を形成するアート活動です。

部屋を片づけなさいの本質、超越お片づけ

NOTE

 

超越…なんとも怪しいタイトルですね。宗教ではありません。でも怪しい宗教はいつもそう言うので、もしかするとこれは怪しい宗教かもしれません。

 

ついこの間までのぼくはというと、恥ずかしながら片づけどころかなんと掃除もまともにしないでおりました。

僕のなかで焦りや不安がずっとぐるぐるとうずまいていて、心の奥底から「そんなことやってる場合なの?他にやるべきことはたくさんあるでしょう?」と声が聞こえてきて部屋を片づけることすら妨げるのです。

 

いろんなジャンルの本を開いては積み、いろんなサイトを巡回。なのに生産性は一向に向上しない。

やるべきことはたくさんなのはわかっているけれど何から手をつけたらいいかわからない。

もはやなにをやりたいのかわからない。

 

頭でっかちになる一方でした。そして焦りから、さらに部屋が散らかってゆく悪循環です。

 

さすがにこれはいけないと、あるとき思いっきり部屋を片づけたのです。当たり前のことだけれど、なんだかそれくらい余裕がなかったのですね。

 

 

そうやってすっきりと片付いた部屋で一息ついて晴れ晴れした気持ちのとき、何度か過去に提唱したことのありそうな「人は部屋に寄るし、部屋は人に寄る」ことをすっかり忘れてしまっていたと気づくのです。

部屋はひとの心を写す鏡だ、何て言われることがありますが本当にそうで、同時に部屋も人に対して多大に影響する。なので人は部屋をきれいにしようとします。

それは身を以て実感してます。みんな親から「部屋を片づけなさい」と言われてきたからそんなことが大切なのは口にせずとも知っているのです。

忙しい現代人は、部屋をきれいに保つことが大切なのは知っている、と機械などに外注するようになりました。

お掃除ロボットや全自動洗濯機、全自動食器洗い機、もしくはお手伝いさんなどなど…確かに時間の節約になり、その分浮いた時間で他のやりたいこと、やるべきことがやれるという考え方は大いに納得できます。

ですが全てを他力に置き換えるとどうでしょうか。

 

綺麗な状態を保つことではなく、乱れた状態から整える、この主観的で動的な所作に価値があるのではと思わずにはいられないのです。

 

掃除や片づけっていざやりだすといろんなところが気になりだしてとまらないでしょう。ここも気になる、ここも気になると。

そうやって片づけを続けているうち、ある臨界点を越えるといままで部屋が汚いときどうでもいいと思っていたことが不思議と急に目に入るような覚醒状態になる。

これを”超越お片づけ”としましょう。

 

この超越お片づけが訪れると、部屋を綺麗にしたいというベクトルからもっといい部屋にしたい、もっとこれがこうだったら、もっと、もっと…。

次第に自分の部屋だけにとどまらず、だんだん意識のベクトルが外に向いていくのに気づきます。これはインテリアだけにとどまらず、です。

なにかシェアしたい、なにか創造的なことをしたい…。いつのまにか自分だけの問題ではなくなってくるのです。

 

ただ単に他力に任せて部屋をきれいに保つだけだと、この主観的で動的な所作がないのでベクトルの転換、つまり”超越お片づけ”は訪れず、意識は自分の部屋より外側には向かずに停滞してしまいます。

 

部屋という小宇宙のなかで混沌と秩序の可逆反応をくりかえしながら、触媒として関与する。

部屋が綺麗であるという結果が良いというわけではなく、部屋が乱れたら変化に気付き、整えようとするときに生じる排他性、この動的な所作に価値があるのです。

 

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