空間軸を中心として、写真やデザインなどから多面的にその輪郭を形成するアート活動です。

すべての写真は儚くて、美しい

NOTE

 

『断片的なものの社会学』という本を読みました。

 

帯に書かれている絶賛っぷりに惹かれて買ったものの、本当にどこか知らない人の話がオチもなく断片的に語られるばかりで、初めざっと読んだ時は正直何が言いたいのかいまいちしっくりしなくて悶々としていたのですね。

 

そんなある日ボヴェさん(haco_otoko)が投稿した写真に添えられた文に衝撃を受けたのでした。

 

バルトは写真の本質は「それは、かつて、あった」という存在の証明なんだと書きました。しかし、これは同時に「それは、もはや、ない」という不在の象徴でもあります。美しい景色も、光も、艶やかな肌も、笑顔も、「それは、かつて、あった」が、「それは、もはや、ない」ことを写真は告げている。

 

 

かなり胸に刺さる言葉ではありませんか。僕は刺さりすぎて1日仕事に手がつきませんでした。

この言葉で『断片的なものの社会学』の言わんとすることがなんとなく掴めた気がしたのです。断片が一つの糸で紡ぎ合わされたような。

もはや「すべては儚くて、美しい」という側面があるということ。やや大げさですかね。

年を重ねるほどに涙もろくなる現象はきっとこれです。必要以上に奥ゆかしさを感じている。

 

こうした視点で世に溢れる写真を眺めると、もはやすべてが奥ゆかしく感じられませんか。

どんな写真であろうとも、シャッターを切ったということは少なからず感情が揺れたということ。

無機質なプロダクトの物撮りだって、ギャルのプリクラだって、下品な写真だって、その瞬間はもう二度と来ない。

最近のインスタグラムのストーリーやライブ機能なんて、写真という残像すら残らない。

 

ここでいう奥ゆかしさや美しさは、写真における色彩や構図などよりも前提にある話です。

どんな色彩や構図を選ぼうとも、誰かががシャッターを切った瞬間は、ぼんやりとした全体性に揺るがされているのです。

 

 

くだらないことにも奥ゆかしさを、この感覚の共有の為現在写真集を作成中です。

すでに入稿済みですのでもう少々お待ちを…。

 

 

ちなみに『断片的なものの社会学』ではさらにその先を言及しております。

 

かけがえのないものは、それが知られないこと、失われることによって現れる。だとすれば、もっとかけがえのないものとは、「私たち」にとってすら、そもそもはじめから与えられていないものであり、失われることもなく、知られることも、思い浮かべられることも、いかなる感情を呼び起こされることもないような何かである。

岸 政彦 著『断片的なものの社会学』より

そう言われると写真さえも撮られないことが、よりかけがえのないことになってしまうではありませんか…。
そもそも論は大好き。おすすめです。

 

 

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