行き届いているということ

 

行き届いているということ。

これは僕にとってとても大事なテーマです。

一軒家を 改装中、より一層強く感じました。

はたから見るとですね、改装なんかやっている場合ではないのですよ。僕は3月に仕事辞めちゃいましたから。無職。

こんなんだから地元などでは「先にやるべきことがあるだろう、都会のもんの考えることはわからん」などと言われてるようですが、これに関してはば田舎だろうが都会だろうが世間体の顔を伺って他にやるべきことをやるでしょうね。それは僕にもわかります(僕が都会のもんかどうかも危ういけれど)。

世間に抗いながらもなお、僕は壁を破壊するのです。

 

 

真夏の作業で意識が朦朧とするなか壁や押入れを破壊していると、ふと「こんなどうしようもない時期なのにどうしてこんなことをやってるのだろう」と考えがよぎります。

インテリアというと多くの人にとって単に生活を彩るような遊びのようなものだし。自己顕示欲や意地などでしょうか。それもないとは言えません。

だけれど、僕にとって、もっと根本的には、自分のための最適化なようです。

原動力は「このままだとなんだか気持ちがが悪い。」

 

押入れに関してはよくあるデスクにするのも一旦やってみたし、本棚にするのもやってみたけれどどうしてもなんだか気持ちが悪い。

押入れには必要以上に奥行きがありますから、どうしてもその分デッドスペースが生じてしまうのですね。

すると文字通り、そこの空間が死ぬんです。

 

 

まずは、行き届いていること。機能的であること。

機能的というとミニマルにデザインされたオフィスのように洗練された印象があるかもしれませんが、一般的に言う機能的空間の許容値が一本の細い線のように絶対的なものであるとするならば、僕にとってはもっとぼんやりと太めなイメージ。

中心には機能的、有機的な空間が中心にいながらも、「そこに存在して空間に作用することも機能である」ということも許容するように、まわりで包括している。だからぼんやりとしている。

 

 

どんな物を置く以前にまずは空間に行き届いているか、最適化しているか、隅々まで機能しているか、中心にある機能的、有機的な空間を形成することがやるべきこと。それが形成されたのち、ようやくまわりであそべる。

そうやって内側から少しずつ、届く範囲を引き伸ばすことが僕にとっては最もやるべき、重要なことであるようです。

なお、この届く範囲というのは自室に留まらないと信じています。