すでに内側からのデザインは始まっていた

NOTE

 

とても尊敬するボヴェさんとお話する機会をいただきました。

 

 

非言語の言語化ってこのことか。

頭の中にある、なんとなくなことが的確な言葉に変換されて流れこんできました。

ボヴェさんが話しているときに浮かんだイメージは強烈に頭に残っているのに、僕の文章力語彙力ではそれをうまく文字に書き起こせません。

 

僕のフィルターを通っているので、陳腐で幼稚な言葉に変換されている可能性があるので予めご了承ください。

 

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これからどうしましょうと人生相談すれば、造形作家、インテリアデザイナー、写真家、俳人、ショップオーナー…

 

素敵な生き方をしている方々を話題にあげていただきました。

 

「僕にもまだわからないよ」

「ならば僕も一生悩んでそうですね笑」

と安心したわけです。

 

そんな話(ほぼ講義)の中で印象に残ったのが、サウンドスケープという概念を打ち出して世界の音風景を比較研究する方の考え方。

 

サウンドエデュケーション

『サウンド・エデュケーション』R・マリーシェーファー

 

サウンドスケープ・デザインとは私にとって、「上からのデザイン」や「外からのデザイン」を意味するものではない。それは「内側からのデザイン」である。できるだけ多くの人々が、自分の周りの音をより深い批評力と注意力をもって聴けるようにすることによって達成される「内側からのデザイン」なのである。

 

サウンドスケープ・デザインはまず、個人や小さなグループから始まり、それが池の水面の波紋のように次第に広がっていき、多くの人々を巻き込み、さらには全市民に影響を与え、最後には政府も動かしていく、そうしたひとつの教育のプロセスなのである。

 

それぞれ個々の内側からのデザイン、教育が大事なんだ。外からではなく感性を育む側から。

 

 

 

 

「やっぱお店に行き着くかもね、何から何まで自分の世界観でつくれるし。やすあきくんはインテリアというより全体性の人なのだから。」

と言われてその場では「へへ、ありがとうございます。」

なんて自惚れてしまったけれど、後で気づいたのですが全体性を意識しだしたのは、もしやボヴェさんのインテリアをみてからがきっかけじゃないか。

全体性が滲みでて可視化された空間。

部屋という括りのなかでいかに世界観を凝縮するか、なのだな。インテリアって。

 

「今回、僕は内側からデザイン、教育されていたのですね」

「いやいや笑 種をまいといたからね、期待してるよ」

 

今回どころか、ボヴェさんのことを知った数年前からすでに内側からデザインは始まっていたのでした。

 

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いただいたバターサンドも美味しくいただきました。

ありがとうございます。

 

 

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