テレビは「想い」を鈍らせる

NOTE

 

テレビ。

 

いつの間にかすっかり見なくなってしまったので僕は処分してます。テレビよりも他にやりたいことはたくさんあるし、映画はPCで代用できるしで。

 

GWはほぼ実家に帰っていました。

テレビは一日中ついておりました。

久々に長い時間触れたテレビ。

 

TV

 

ニュースを久しぶりに動画で見て生々しさに驚いたりと発見もありました。

 

だけれど、自分の今の家にテレビがないからか、実家のリビングでは静寂が1秒たりともないな、と気づいたわけです。

 

このままテレビに溺れてたらなんだか頭おかしくなりそうだなと、静寂を求めてかつての自室にこもりました。

 

そこで世界文庫で購入したこちらの本をぱらぱらと眺めてみました。

すると偶然にもテレビについて言及されていました。

 

空想工房 覆刻

 

畑を打つ、木を彫る、道を歩く、そんなとき死んだ犬のことや忘れかけた人々のことをふと思い出す。無心に手仕事をくりかえしていれば「想い」はどこからともなくやってきた。この頃、手仕事は機械がとって代わり、余った時間はテレビで埋められた。貴重な「想い」の時は、日毎に私達から遠ざかりつつある。

 

まさにその通りだなと。

単純作業には瞑想的効果があるみたいなことよく言われますよね。僕もぼーっと皿洗いとかする時間嫌いじゃないです。

 

自動の食洗機があるように、 これからは機械にもAIにも仕事を奪われてしまうよなー

なんて考えてたところ、堀江貴文さんも著書でこのあたりに触れていたのを思い出したので抜粋します。

 

本音で生きる 一秒も後悔しない強い生き方 (SB新書)

 

機械は人間の仕事を奪っているというより、面倒な仕事を代わりにやってくれるだけだ。

(中略)

労働をロボットが肩代わりしてくれるのだから、人間は空いた時間で好きなことができる。売上や経済成長を目指して嫌々仕事を頑張るのではなく、遊びと仕事の境界はますます曖昧になっていくだろう。

 

なるほど、そうだ、機械化は自由な時間がより増えるということなんだ。

そこで余った自由な時間で何をするか。

一見無意味で時間の無駄のような単純作業でも、没頭できる時間をたくさん持つ人が結局強いわけで。

 

余った時間でついついだらだら眺めてしまうテレビ。

テレビを全否定するつもりはないけれど、テレビはきっと受動的すぎる。

 

 

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