2016.08.12
ふつうでニュートラルで無彩色
僕は無印良品をとても尊敬しています。
ですが同時に、無印良品を選んでしまうとなんだか少し悔しいような、つまらないような気持ちもあるのです。これは単に僕が天邪鬼なのでしょうか?そこをどうしてだろうと考えてみました。
まずは無印良品のコンセプト、価値観を探りましょう。
無印良品の多くの製品にかかわるデザイナー、深澤直人さんの著書『デザインの輪郭』。
とても好きな本です。この本の内容の一部を、深澤さんの考えるデザイン観をこの動画でも垣間見ることができます。
少し長いのでこちらで要約も読めます。
「MUJI is enough」「MUJIでいい」
ただ単にシンプルにしただけだと思われがちな無印良品ですが、これでいい、最低限でふつうを追求するが故のシンプルな形なのですね。シンプルと言ってもそれにはある程度の選択肢や幅があって、その振れ幅を抑え込むということを無印良品はやってくれています。ある程度幅を残したまま。
「もしMUJIがなかったらどうしよう」と思えばMUJIの価値がわかる。
これには、ああなるほどと共感しませんか。結局無印良品を選んでしまうあの感じ。ついついとりあえず足を運んでしまうあの感じ。
無印良品が提案するかたちは最低限のもののあるべきあたりまえのかたち、かなりの普遍性があります。なのでとりあえず無印良品を選んでおけば間違いはないのです。
こうやってふつうであることを体現した無印良品のことはとても尊敬していますし、これからも応援しています。
さて、無印良品が目指すのはふつうでニュートラルですね。
そして自分も、目指しているのはふつうでニュートラルです。
無印良品は引き算された最小限でふつうの、故にシンプルでミニマルなプロダクトや生活を提案しています。色に例えるならば、無印良品はど真ん中のグレー、無彩色。
僕も同様に目指すところは無彩色でニュートラルです。
それは無彩色はでも、相反する赤と緑が溶け合うと無彩色に近づくかのごとく、反対色同士のものたちを選んでリズムのある無彩色にしたいのです。ニュートラルの別のアプローチです。
無印良品の提案する最低限の ”これでいい” がかなり浸透してきた今、日本人の生活水準はニュートラルに近づいたように思います。ミニマリストという言葉が流行ったみたいに。
そんな基盤を多くの人が知ることができてきたので、これからはさらに先ほどの例えでいう色、つまり遊びをきかせながらもニュートラルであり続けたい。
無印良品が提案する普遍性から踏み出して色をつけてみる。
無印良品が真ん中を教えてくれたからまた戻ってこれる。
振れ幅を抑えてど真ん中に留まることだけがニュートラルではなくて、あえて振れを抑え込まず、振れ幅の両端を知ることで真ん中、ニュートラルを取る方法もあるのではないでしょうか。
真ん中からわかる振れ幅、振れ幅からわかる真ん中。
自分なりに色、つまり遊びを心地よい配置に足してみる。
だけれど全体で見るとうまく調和のとれたそれは無彩色でニュートラル。
もしかすると、これからの自分の核心めいたものを書いてしまったかもしれません。